藤田 志保 (フジタ シホ)
◯1975年3月12日 21時40分誕生
◯魚座 ◯卯年 ◯A型
◯広島市安佐南区在住
(生まれてすぐ岡山〜愛媛大洲市・松山市〜宮崎西都市〜5歳から広島)
◯数秘占い「1」 道を切り開くパイオニア
◯動物占い Earthの楽天的な虎
◯九星気学 お金に困らない楽しいこと大好き七赤金星
◯ウェルスダイナミクス ブレイズのサポーター
◯ファイナンシャルプランナー
◯コンサルティングデザイナー
School
◯カトリック幼稚園 ゆり組(宮崎県西都市)
◯三入幼稚園 うめ組(広島市)
◯広島市立伴小学校 3年生の時に分離、伴東小学校へ
◯広島市立伴中学校 陸上部(長距離)
◯広島市立広島商業高等学校 情報処理科
◯広島YMCA外語専門学校 留学科
生まれて〜小学校入学まで
生まれて1ヶ月足らずで、引越しを経験しました。もちろん覚えていません笑。父が国内生保の所長をしていた関係で転勤が多く、小学校に上がるまでに5回引越しをしました。
小さな頃はとてもおてんばで、母が弟に授乳しているタイミングを見計らっては、愛車で脱走を繰り返す子供でした。
宮崎県の西都市のカトリック幼稚園で、年中さんを過ごしました。神父さんが大好きで、幼稚園から帰宅してまた会いに行くほど。父の転勤で引越すことになった時は、とても悲しかった……。引っ越すときにいただいたマリア様像は、40数年たった今でも大切な宝物です。
年長さんからはずっと広島で、三入幼稚園に通いました。先生に暴言を吐き、よく説教部屋行きに。卒園する少し前6歳離れた妹が生まれました。
小学校入学〜高校卒業そして専門学校
小学校は伴小学校、3年生からは分離したため、伴東小学校に通いました。本が大好きで、毎週末、本を買ってもらうほど。その甲斐あって、小学4年生の時に読書感想文で「広島市長賞」を、もらいました。 高学年になってバレーボールクラブに入ったり、ジュニアリーダーをしたり、アクティブに過ごしました。中学校は伴中学校に通い、陸上部に入部し長距離を選択。理由は「スポーツテストでタイムがとてもよかったから」。最初はなかなか目が出ませんでしたが、3年生が引退してからは、ずっとレギュラー。自分の引退まで、トラック競技も駅伝も、レギュラーは譲りませんでした。中学3年生のとき県大会に出場し、6位でした。高校は市商に進学しました。陸上を続けるためだったのですが断念し、当時ブームだった「バンド」にハマり追っかけに青春を捧げました。
高校を卒業後、広島YMCA外語専門学校、留学科へ。留学を夢見ていましたが現実は甘くなく……。留学をあきらめ、アパレル会社へ就職しました。
20歳〜26歳
最初の結婚は、20歳のとき。3歳年上の飲食店に勤める方。18歳で知り合い、2年の交際を経ての結婚でした。 結婚と同時に彼の仕事が激務になり、すれ違いが続き、1年数ヶ月で離婚となりました。
再婚は、22歳のとき。授かり婚(できちゃった婚)。同じ歳で、長崎から進学で広島に来ている大学生でした。ロックバンドでギター担当。彼の出演するLIVEで知り合いました。出産は25時間。生まれた長女を見て、髪の毛の多さにびっくりしました。
長女が1歳になったとき、家計を助けるためにヤクルトで働き始め、会社ばかりを周るエリアを担当しました。性に合っていたのか、ヤクルトの仕事はすごく楽しかったです。仕事を組み立て、商品をどう売り、どうやって買ってもらうか?派手な風貌でバイクをかっ飛ばしながら、そんなことばかり考えていました。
そんな頃、夫の浮気が発覚!離婚すればバツ2、子供もいる……。簡単に離婚してはいけないなぁと思い頑張りました。しかし、長女の「母さんがおればいい」の言葉に押され、26歳の時に離婚しシングルマザーになりました。
27歳〜34歳
2度目の離婚後は、テレアポ、タクシー会社の電話受付、焼肉屋、イタリアンレストラン、夜の飲食店などを数個掛け持ちしながら、子供を育てました。睡眠時間が3時間を切る日もありましたが、仕事も子育てもとにかく全力で楽しみました。
ある日、首の違和感に氣付きます。首周りが首輪をつけているかのように、腫れているのです。検査をすると甲状腺数値か良くなく「橋本病」と言われました。すぐ治療を開始し、治療過程で甲状腺の左葉に「癌」がみつかり「甲状腺 乳頭癌」と診断されました。担当医からは「幸せ癌といわれている癌ですよ」と言われましたが、さすがにショックでした。急いで手術する必要はありませんでしたが、32歳を迎える少し前に摘出手術を受けました。 術中、覚醒してしまい、眠っているのに痛みを感じるハプニングがありましたが、無事、終了しました。 出来る限り休養する必要がありましたが、術後3週間で仕事に復帰しました。
そして、手術から8ヶ月後、ヤマト運輸に転職し、懲りずに再々婚!34歳の時に、次女を授かりました。出産は、長女の時がウソのような超安産で、5時間で生まれました。
35歳〜現在
約1年間の育児休暇を終え、職場に復帰しました。復帰早々次女が熱を出し、1週間休むハメに……。その時、職場の同僚から心ないことを言われ、働くことに心が折れかけましたが、7年間ヤマト運輸で働きました。
荷物の受付業務、クレーム対応、多種多様な業務を経験し、仕事の組み立て方、お客様対応など、たくさんの學びがありました。仕事は好きでしたが、長女を進学させるために収入をアップさせる必要があり、39歳の時に国内生命保険会社に転職。6年5ヶ月在籍しました。
癌に罹患した経験を活かすべく、「お客様が後悔しない保険」「困った時に役に立つ保険」、自分の経験を基にやってきました。
しかし、年数を重ねれば重ねるほど、違和感は増すばかりでした。会社の言うお客様目線の活動、見直せば見直すほど高くなる保険料。保険料を抑えるために、小さくする保障内容。新しい特約を出す度に陳腐になったと感じる商品。お客様が求める内容とは程遠いものでした。会社が目指す方向と私の想いの差は縮まらず、広がるばかり。そして「このままでは、大切なお客様のためにならない」と一社専属の限界も感じていました。
そんな時、あるSNS広告が目にとまります。埼玉県さいたま市大宮在住で、業界最高峰の知識と経験を持つ「五十田 三洞」さんのSNSでした。すぐ本を取り寄せて読み、目からウロコなことばかりの事実に、衝撃を受けました。「私が感じていた違和感は間違いではなかった」そう思いました。セミナーは、私にとってすごく高額で受けることに躊躇しましたが決意し、2021年2月受講しました。そのセミナーで私の違和感はクリアになり「やってきたことは真逆だった!」と、氣付くことができました。その方からの氣付きと學びから「真の顧客第一」に目覚め、6年5ヶ月在籍した会社を退社し、生保・損保を取り扱う代理店へ移籍しました。
現在は、3度目の離婚をし、3人の娘と一緒に暮らしています。